『万葉集』中、タチバナをよむ歌 
 

→タチバナ


長歌

大伴家持 「橘の歌」
 かけまくも あやにかしこし 皇神祖
(すめろぎ)の かみ(神)の大御世に
 田道間守
(たぢまもり)常世(とこよ)にわたり やほこ(八矛)もち まゐで(参出)こしとき
 時じくの 香久の菓子
(このみ)を かしこくも のこしたまへれ
 国もせ
(狭)に おひたちさかえ はる(春)されば 孫枝(ひこえ)(萌)いつつ
 ほととぎす なく五月には はつはなを えだにたを
(手折)りて
 をとめらに つと
(裹)にもや(遣)りみ しろたえの そでにもこき(扱入)
 かぐはしみ おきてか
(枯)らしみ あゆる実は たまにぬきつつ
 手にまきて 見れどもあかず 秋づけば しぐれのあめふり
 あしひきの やまのこぬれ
(木末)は くれなゐに にほひちれども
 たちばなの 成れるその実は ひた照りに いやみ
(見)がほ(欲)しく
 みゆきふる 冬にいたれば 霜おけども その葉もかれず
 常磐なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より
 よろ
(宜)しなへ 此の橘を ときじくの かくの木の実と 名附けけらしも
   反歌
 橘は 花にも実にも み
(見)つれども いや時じくに なほし見がほ(欲)
     
(18/4111;4112)

大伴家持 「橘の花を攀じて坂上大嬢に贈る歌」
 いかといかと ある吾が屋前(やど,には)に 百枝刺し おふる橘
 玉に貫く 五月を近み あえぬがに 花咲きにけり
 朝にけ
(日)に 出で見るごとに 気(いき)の緒を 吾が念ふ妹に
 銅鏡
(まそかがみ) 清き月夜に ただ一眼 みするまでには
 落
(ち)りこすな ゆめと云ひつつ 幾許(ここだく)に 吾が守る物を
 うれたきや しこ霍公鳥
(ほととぎす) 暁の 裏悲しきに
 追へど追へど 尚し来鳴きて 徒らに 地に散らせば
 術を無み 攀じて手折りつ 見ませ吾妹児
   反歌
 望
(もち)(くた)ち 清き月夜に 吾妹児に 視せむと念ひし 屋前の橘
 妹が見て 後も鳴かなむ 霍公鳥 花橘を 地に落らしつ
     
(8/1507;1508;1509)

高橋虫麻呂 「霍公鳥
(ほととぎす)を詠む」
 鶯の 生卵(かひご)の中に 霍公鳥 独り生まれて
 己
(な)が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず
 うの花の 開きたる野辺ゆ 飛び翻(かけ)り 来鳴き響もし
 橘の 花を居散らし 終日(ひねもす)に 喧(な)けど聞きよし
 幣
(まひ)はせむ とほくなゆきそ 吾が屋戸の 花橘に 住みわたれ鳥
     
 (9/1755)

その他
 霍公鳥 来喧(な)く五月に 咲きにほふ 花橘の ・・・
     
(19/4169,大伴家持)

 ・・・
 霍公鳥 鳴く五月には 菖蒲
(あやめぐさ) 花橘を 玉に貫き 蘰(かづら)にせむと ・・・
     
(3/423,山前王)

 ・・・ 菖蒲 花橘を をとめらが 珠貫くまでに ・・・
     
(19/4166,大伴家持)
 ・・・ 菖蒲 花橘を 貫き交え かづらくまでに ・・・
     
(19/4180,大伴家持)
 ・・・ 橘の 珠にあへ貫き かづらきて 遊ばふはし
(間)も ・・・
     
(19/4189,大伴家持)

 ・・・
 ほととぎす きなく五月の あやめぐさ はなたちばなに
 ぬ
(貫)きまじ(交)へ かづら(蘰)にせよと つつみてやらむ
   反歌
 白玉を つつみてやらば あやめぐさ はなたちばなに あ
(合)へもぬ(貫)くがね
     
(18/4101;4102, 大伴家持「京の家に贈るために 真珠を願う歌」)

 ・・・吾が屋戸の 殖木橘 花にちる 時をま(未)だしみ・・・ (19/4207,大伴家持)

 ・・・
 豊の宴
(あかり) 見す今日の日は もののふの 八十伴の男の
 嶋山に あかる橘 うず
(髻華)に指し 紐解き放(さ)けて
 千年ほ
(祷)ぎ ほ(祷)きとよもし ・・・
     
(19/4266,大伴家持。豊の宴は 11月の新嘗祭の翌日の宴)

 然れこそ 年の八歳を きり髪の 吾同子
(よちこ)を過ぎ
 橘の 末枝
(ほつえ)を過ぎて 此の河の 下にも長く 汝が情待て
     
(13/3307,読人知らず)

 近江の海 泊八十有り 八十嶋の 嶋の埼ざき あり立てる 花橘を
 末枝
(ほつえ)に もち(黐)引き懸け
   仲つ枝にいかるが
(斑鳩)懸け 下枝(しづえ)に ひめ(鴲)を懸け
 己
(な)が母を 取らくに知らず 己が父を 取らくに知らに
 いそばひお
(居)るよ いかるがとひめと
     
(13/3239,読人知らず。いかるがもひめも 小鳥の名)
 


短歌

 橘は 実さへ花さへ 其の葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹 (6/1009,聖武天皇)
 たちばなの とをのたちばな や
(弥)つ代にも
   あれ
(吾)はわすれじ このたちばなを (18/4058,元正天皇)
 たちばなの したで
(下照)るには(庭)に との(殿)(建)てて
   さか
(酒)みづきいます わがおほきみ(大君)かも (18/4059,河内女王)
 とこよもの
(常世物) このたちばなの いやてり(照)りに
   わご大皇
(おほきみ)は いまも見るごと(如)
 大皇は ときは
(常磐)にま(在)さむ たちばなの
   との
(殿)のたちばな ひた(直)(照)りにして (18/4063;4064,大伴家持)

 たま
(玉)にぬ(貫)く はなたちばなを とも(乏)しみし
   このわ
(吾)がさと(里)に き(来)(鳴)かずあるらむ
     
(17/3984,大伴家持。3月29日「越中の風土 橙橘あること稀なり」)
 たちばなは 常花
(とこはな)にもが ほととぎす
   す
(住)むと来鳴かば き(聞)かぬ日なけむ
     
 (17/3909,大伴書持。4月2日 家持に贈る)
 ほととぎす なにの情そ たち花の たま
(珠)(貫)く月に 来鳴きとよ(響)むる
     
(17/3912,大伴家持。4月3日「橙橘初めて咲き 霍鳥翻りなく」 書持に報えて)
 橘の にほへる香かも ほととぎす な
(鳴)くよ(夜)の雨に うつろひぬらむ
 橘の にほへる苑に ほととぎす 鳴くとひと
(人)(告)ぐ あみ(網)ささましを
     
(17/3916;3918, 大伴家持。4月5日)
 吾が背子の 屋戸の橘 花を吉(よ)み 鳴く霍公鳥 見にこそ吾が来し (8/1483,庵君諸立)
 をさとなる
(不詳) はなたちばなを ひ(引)きよ(攀)じて
   を
(折)らむとすれど うらわか(若)みこそ (14/3574,読人知らず)
 霍公鳥 痛くな鳴きそ 汝が音を 五月の玉に あい貫
(ぬ)くまでに
     
(8/1465,藤原五百重娘)
 香ぐはしき 花橘を 珠に貫き 送らむ妹は みつれても有るか (10/1967,読人知らず)
 片搓りに 糸をそ吾が搓る 吾が背児の 花橘を 貫かむと思(も)ひて (10/1987,読人知らず)
 五月の 花橘を 君が為 珠に貫く ちらまく惜しみ
(8/1502,大伴坂上郎女)
 わがやどの 花橘を はな
(花)ごめに
   たま
(玉)にそあ(吾)がぬ(貫)く ま(待)たばくる(苦)しみ
     
(17/3998,石川水通)
 我が屋前の 花橘に 霍公鳥 今こそ鳴かめ 友にあへる時
(8/1481,大伴書持)
 五月山 花橘に 霍公鳥 隠らふ時に 逢へるきみ
(君)かも (10/1980,読人知らず)
 吾こそは 憎くも有らめ 吾が屋前の 花橘を 見には来じとや
(10/1990,読人知らず)
 鶉鳴き ふる
(古)しとひと(人)は おもへれど 花橘の にほふこのやど (17/3920,大伴家持)
 霍公鳥 来喧(な)き響
(とよ)めば 草とらむ 花橘を 屋戸には殖ゑずして
     
(18/4172,大伴家持。4月23日 立夏の前夜に)

 雨間開けて 国見もせむを 故郷の 花橘は 散りにけむかも
(10/1971,読人知らず)
 風に散る 花橘を 袖に受けて 君が御為と 思ひつるかも
(1966,読人知らず)
 橘の 花落る里に 通ひなば 山霍公鳥 響
(とよも)さむかも (10/1978,読人知らず)
 わがやどの はなたちばなは いたづらに
   ち
(散)りかす(過)ぐらむ み(見)るひとなしに (12/3779,中臣宅守)
 暇無み 五月をすらに 吾妹児が 花橘を 見ずか過ぎなむ
(8/1504,高安)
 橘の 花散る里の 霍公鳥 片恋しつつ 鳴く日しそ多き
(8/1474,大伴家持)
 霍公鳥 花橘の 枝に居て 鳴き響むれば 花は散りつつ
(10/1950,読人知らず)
 吾が屋前の 花橘を 霍公鳥 来鳴き動
(とよ)めて 本に散らしつ (8/1493,大伴村上)
 吾が屋前の 花橘を 霍公鳥 来喧かず地に 落らしてむか
(8/1486,大伴家持)
 霍公鳥 来居も鳴かむか 吾が屋前の 花橘の 地に落らむ見む
(10/1954,読人知らず)
 霍公鳥 来鳴き響むる 橘の 花散る庭を 見む人やたれ
(誰) (10/1968,読人知らず)
 ほととぎす いとねたけくは 橘の はなちるときに きなきとよむる
     
(18/4092,大伴家持)

 吾が屋前の 花橘は 落りにけり 悔しき時に あへる君かも
(10/1969,読人知らず)

 君が家の 花橘は 成りにけり 花なる時に あはまし物を
(8/1492,遊行婦女)
 鏡成す 吾が見し君を 阿婆の野の 花橘の 珠に拾ひつ
(7/1405,読人知らず「挽歌」)

 吾が屋前の 花橘の何時しかも 珠に貫くべく 其の実成りなむ
(8/1478,大伴家持)
 吾が屋前の 花橘は落り過ぎて 珠に貫くべく 実に成りにけり
(8/1489,大伴家持)
 つき
(月)(待)ちて いへ(家)にはゆ(行)かむ わがさ(挿)せる
   あか
(赤)らたちばな かげ(影)にみ(見)えつつ
     
(18/4060,粟田女王)
 嶋山に 照れる橘 うず(髻華)にさ
(挿)し 仕へ奉るは 卿大夫(まへつきみ)たち
     
(19/4276,藤原八束。11月25日 新嘗祭の宴で)
 橘の 本に我を立て 下枝(しづえ)取り 成らむや君と 問ひし子らはも (11/2489,読人知らず)
 橘の 光
(て)れる長屋に 吾が率宿(ゐね)
   うなゐ
(童女)はなり(放髪)に 髪あげつらむか (16/3823,読人知らず)

 たちばなの したふくかぜの かぐはしき つくば
(筑波)のやまを こひずあらめかも
     
(20/4371,占部広方)
 橘の 蔭履
(ふ)む路の 八街(やちまた)に 物をそ念(おも)ふ 妹にあはずて
     
 (2/125,三方沙弥。街路樹として植えられていた)
 橘の 本に道履む 八街に 物をそ念ふ 人に知らえず
(6/1027,豊島釆女または三方沙弥)
 橘の 林を殖ゑむ 霍公鳥 常に冬まで 住み渡るがね
(10/1958,読人知らず)
 橘を 屋前に植ゑ生し 立ちて居て 後に悔ゆとも 験
(しるし)あらめやも
 吾妹児が 屋前の橘 いと近く 殖ゑてし故に 成らずは止まじ
     
(3/410;411,坂上郎女と大伴家持の贈答)
 吾妹子に あはなく久し うましもの 安倍橘の 蘿
(こけ)(む)すまでに
     
(11/2750,読人知らず。安倍橘は、ダイダイあるいはクネンボという)

次の橘は地名。

 たちばな
(橘)の こばの(不詳)はなり(放髪)が おも(思)ふなむ
   こころ
(心)うつく(愛)し いであれ(吾)はい(行)かな (14/3496,読人知らず)
 


枕詞「橘の」(守部にかかる。貴重な橘を護る事から。)

 橘を 守部の五十戸(さと)の 門田早稲 苅る時過ぎぬ 来じとすらしも (10/2251,読人知らず)
 



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